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トップページ > 日本お米紀行 > ~最新品種誕生ものがたり~ 富山県/富富富 人を思わず笑顔にするお米として、期待が寄せられている「富富富(ふふふ)」 ユニークなのは、そのネーミングだけではなかった!

〝米どころ〟といえば、新潟県、宮城県、山形県の名前が上るが、実は富山県も"米どころとして知る人ぞ知る存在〟なのである。水田率(耕地面積のうち田が占める割合)は新潟県などを凌ぎ、全国一位。また富山県は「種もみ王国」と呼ばれ、全国からの種もみ生産委託分の約6割を受託生産し、さまざまな品種を42都府県へ出荷。全国の米づくりの根っこを支えている。もちろん富山県の米作り農家も、良質な種もみにもこだわりを持って、高品質な富山県産米を生産しているのである。その富山県が満を持して、地域間のブランド米競争に送り出したのが、品質・食味重視のプレミアム米・富富富。そして、この富富富の育成には意外な秘密が隠されていたのだ。

富山には、美味しいコシヒカリが生まれる環境が揃っていた!

 富山県農事試験場(のちに農業試験場と改称。現・富山県農林水産総合技術センター)の創設は、明治22年まで遡る。

富山県農林水産総合技術センター

大正5年から純系分離による米の育種が始まっているが、当時の育種方法は、在来品種の中から優れたものを選びだすというものであった。その頃、富山県で育成されたものには、銀坊主などがある。
 富山農試で交雑育種法に取り組みだしたのは、大正年間に入ってから。昭和8年には「初光」、「神通」といった品種が育成されている。それ以降も、いくつかの品種が育成されたが、残念ながら全国で知られるような品種は生まれていない。
 時代がグッと下り、昭和40年代後半になると、米過剰の時代が到来する。その流れの中で、それまでの多収から良食味へ、求められる品種の流れが大きく変わっていく。富山県も例外ではなかった。
 そこで頭角を現したのが、昭和47年に県の奨励品種に指定されたコシヒカリである。昭和50年当時、富山県で一番多く作付けされていたのが、自県で育成された多収品種の「はつかおり」。以下越路早生、日本晴、コシヒカリと続いた。しかし、昭和52年には、良食味として評価が高かったコシヒカリが逆転してトップになり、昭和57年には50%、平成10年には80%を超えるまでになっていったのである。
 富山のコシヒカリは、8月初旬に出穂し、9月中旬頃に登熟するが、この時期の富山の平均気温は、コシヒカリが最も美味しく実るとされる25℃。また、北アルプス立山連峰からの豊富な雪解け水が暑い夏場でも稲たちを癒す、まさに美味しいコシヒカリづくりの適地といってよい環境にあった。 
 また平成に入ると、富山県の農業関係者は「魚沼産に負けない日本一うまい米づくり」に、本腰を入れ始めることに。

富山県に広がる広大な田園風景

その第一歩として、県農業技術センター(現・県農林水産総合技術センター)では「まず美味しい米とはどんな米なのか?」という基礎研究をスタートさせた。そして6年間にわたる研究と試行錯誤の結果、美味しい米に必要な8つの指標(玄米水分、玄米白度、完全粒歩合などの目標を数値化)が導き出されたのである。平成7年産米から、この指標が富山県産コシヒカリの備えるべき最低条件として導入されることになった。その結果、同年には見事、食味ランキングで特Aを獲得している。
 富山県産コシヒカリは、まさに生産者と農業技術者の努力の結晶と呼べるもの。粘りと旨みのバランスが良く、他のコシヒカリにないやや硬めの食感が特徴だが、それが美味しいと、一定以上の評価を得たのである。それが、さらなるコシヒカリ作付け拡大に拍車をかけていくことにもつながったのだが……。

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