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新春スペシャルインタビュー マラソンを走りきる身体は、ごはんを中心とした食生活で作られる! 高橋尚子さん

創刊号で高橋尚子さんにご登場いただいきましたが、読者の皆さんから「ごはん好きQちゃんの食生活をもって知りたい」「マラソンを走るための、食事メニューを詳しく教えて欲しい」など、要望や質問が多く寄せられました。そこで『ごはん彩々』では、再び高橋さんにご登場いただき、マラソンとの食事の関係、プライベートの食生活などを、詳しくお伺いしました。

父がフィールドワークと味で伝えた
自然の恵みをいただく「食」の大切さ

 高橋尚子さんは、創刊号のインタビューで「母の味といえば、筑前煮とおかかのおにぎり」を挙げているが、「食に対する楽しさ、奥深さを教えてくれたのは、父だったかもしれない」と語っている。

*――小学校時代、毎週日曜日の朝食は必ず、父が作ってくれていました。メニューはいつも同じで、父が大好きだった「朴葉(ほうば)味噌焼き」。秋になると、近所にあった朴の木(ホウノキ)の枯葉を取りに行きました。その葉を洗って乾燥させ、その上にネギと味噌を乗せ、コンロに網を敷いて焼くというシンプルなもの。ときには、その味噌に漬物を合わせたり、卵を割って落したりしていました。本当に白いごはんともよく合い、美味しかったことを、今でも思い出します。私の子ども時代の、高橋家の日曜日朝の食卓は、まさに「ごはんのお供」の朴葉味噌焼きが中心でした(笑)。

 また、両親とも教師をしていたのですが、日曜日になると父の教え子たち(小学生)が、よく家に遊びにきていました。春になると、父は「春見つけをしよう」と、教え子たちを近くの野山に連れだし、野草図鑑を片手に、ワラビやセリ、ゼンマイなどの山菜採り。別の小学校に通っていた私も、他の学校の子どもたちと遊べるがうれしくて、「春見つけ」に参加していました。父は、子どもを前に「西洋タンポポの葉は食べられるけど、日本タンポポの葉はえぐみが強く食べられない」などと、実際に植物を手に取り、図鑑を見せながら説明していました。

* そして採ってきた山菜は、母が料理してすぐに和え物にしたり、天ぷらにしたり……みんなで食卓を囲んで食べました。自分たちで探したり、採ったりという作業をして食べた山菜は、私にとっては、「春見つけ」というより、「宝見つけ」であり、その味は、今でも「美味しい記憶」として残っています。

 父は、きっと私たちに「自然とのつながりを身近に感じて欲しい」と、野山に連れ出していたのでしょうね。そして、父特製の「朴葉味噌焼き」も、その一環だったのかもしれません。

*

 高橋さんのお父さんは子どもたちに、まさにフィールドワークを通して、自然の恵みと食の大切さを伝えていたといっていい。そこには、自分の子どもだけでなく教え子たちへの、やさしさ、愛情がいっぱい詰まっていたに違いない。だからこそ「美味しい記憶」へとつながったのである。そして高橋さんの子ども時代の「美味しい記憶」は、「春見つけ」で採った山菜だけに留まらない。お正月の料理にも、そんな一品がある。

*――冬休みに入り、27、28日頃になると、母がおせち料理を作り始めます。三段重ですが、上から2段は、いたって普通のおせち。ただ、いちばん下のお重は、すべて筑前煮に覆われていましたが……(笑)。

 正月といえばお雑煮ですが、うちのは、すまし汁に正月菜(小松菜の地方品種)、エビが1尾、お餅は切り餅で、そこにかつお節をかけるというシンプルなもの。お餅は母の知り合いの家で、臼で搗き、のし餅にしたものなので、それ自体が美味しいものでした。

 しかし、うちでは「お正月にお餅を食べる」というと、お雑煮が定番ではありません。お雑煮は元旦の日だけ。2日の朝からは、主役は揚げ餅に代わります。切り餅を油でサッと揚げて、そこに塩を振り、海苔を巻くという簡単なもの。外はサクサク、中はもっちりとろーりとしていて飽きがこないので、みんな4~5個、ペロリ。毎日、家族で20個くらいは食べていましたね。だから、お餅の消費量は、結構なものだったと思います。

 焼く磯辺餅でなく、揚げ餅に塩を振り、磯辺風に仕上げるのが高橋家オリジナルだ。のちにチームQの合宿などでも、この揚げ餅を作って振る舞ったことがあったが、大好評を博したとか。