独学で栄養管理をしていた大学時代の自炊生活
そんな高橋さんは、自分のことを「ランナーとしてエリートではなく、もともとは弱かった」と評している。高校時代は800mの選手で、岐阜県では1位だったが、全国では予選を通過できないレベル。高校2年の時に、全国都道府県女子駅伝にも出場したが、2区を走り、47名中45位の順位だったという。
――45位から40位、30位、10位と順位を上げ、同レースで区間賞を取ったのは8回目の出場の時でした。もちろん人一倍練習に取り組みましたが、走るだけでなく、食生活を意識してやってこられたことが、成績アップの土台となっていたと思います。私の中では練習内容と食事の大切さは50%/50%です。
その言葉通り、岐阜の実家を離れ一人暮らしをしていた大阪学院大学時代は、高橋さんは、自ら進んで食事管理をしていた。
――大学時代は自炊していましたが、調理器具は炊飯器に、フライパン、鍋が各一つ、オーブントースターはありましたが電子レンジはないという生活。冷蔵庫もビジネスホテルにあるようなサイコロ型の小さいもの。コンロも電気式が一つしかなかったので、たくさんのおかずを一緒に作ることができませんでした。なので、栄養のバランスを考え、肉と野菜炒めなど、メニューは自然と限られたものになっていましたね。
おでんは、最初の日は5種類ぐらいの具を入れて作っていましたが、2、3種類ずつ足して、数日後には10種類ぐらい具が入ったおでんになっていることもありました。いろいろなものを食べなきゃと考えていましたから。そんな食事でしたが、ワープロに栄養管理ソフトを入れ、毎日、クッキー1枚からカロリー計算をしていました。当時から、食べることの大切さ、体重管理の難しさを意識していたんだと思います。
高橋さんの大学時代の生活は、授業のあとに陸上部の全体練習、練習が終わってからも夜8時まで使用可能だった大学のトレーニングジムで、体を鍛えていたという。いつも8時ぎりぎりまで、トレーニングしていたので、「ハチコ」というあだ名が付いたそうだ。
それからスーパーで買い物をして、お風呂に入ってから食事の準備。「あまりにお腹が空いてしまい、菓子パンを食べてから、夕食ということもたびたびあった」と笑う。
――走るために栄養管理をしていても、ついつい食べて過ぎてしまい、目標数値はずーっと達成できませんでしたね(笑)。でも、痩せるだけではない――タイムを上げるという目標があったのでかんばれたのだと思います。
それに大学に入った時から、卒論は「走るレベルと貧血の相互関係」にしようと決めていて、栄養管理だけでなく、月一で血液検査も受けていました。でも、卒論のテーマを担当教授に相談した時、「高橋さん、うちは商学部なんですよ」といわれて却下でしたが(笑)。