秋田県、宮城県など、日本を代表する米どころとして知られる東北だが、その中にあって岩手県の存在感はけして強くない。しかし実際には、水稲の作付面積約5万6000ha、収穫量約28万8000t(平成27年)を誇り、全国ではいずれも第10位。しかも岩手県胆江地区などの県南部で生産されるひとめぼれは、日本穀物検定協会の米の食味ランキング特Aの常連で、1993年以降の特A獲得回数(21回)は魚沼産コシヒカリ、山形県産はえぬき(各22回)に次いでいる。また、一等米比率も90%以上と高く、全国でも有数の良質米生産地。データ的には〝ほかの東北各県とも比べ遜色なく、全国有数の米どころ〟といっても過言ではない。そんな岩手県が「日本有数の米どころ」と全国に再認識させるため、ブランド米競争に満を持して投入したのが、銀河のしずくなのである。
土地柄、まずは耐冷性を重視した品種から育成が始まった!
「米どころ岩手」のルーツは、今から約2000年前。胆沢平野で見つかった約2000年前の水田の跡などから、東北地方にも弥生文化が伝わり、岩手県でもその時代にすでに水稲栽培が始まっていたことが伺える。しかし、もともと米は温帯の植物。寒冷な気候の東北地方は、稲の生育には厳しい自然環境にあったことは否めない。しかし、先人たちのよる新田開発や栽培技術の改良などにより、江戸時代以降、岩手県を含め東北を「日本の米どころ」へと変えていったのである。仙台藩の本石米などは、江戸の食を支えたともいわれているが、岩手県南部も仙台藩領であり、本石米の生産の一部を担っていたのだ。
そして戦中戦後の米不足から脱却した1950年代になると、それまでの多収が美徳とされてきた品種育成にも変化が見られるように。美味しいお米を求める消費者の嗜好に合わせ、1950年(昭和25)にハツシモ(岐阜県)、1956年(昭和31)にコシヒカリ(新潟県)、1963年(昭和38)にはササニシキ(宮城県)や日本晴(愛知県)と、ブランド米の黎明期を支えた品種が全国各地から登場してきたのである。
さらに1969年(昭和44)に「自主流通米制度」の施行によって米流通の自由化が進むと、あきたこまち(秋田県/1984年)、ひとめぼれ(宮城県/1992年)、はえぬき(山形県/1993年)などのブランド米が続々誕生することに。また1995年(平成7)に施行された食糧法によって、米生産者が直接米を出荷できるようになると、ブランド米競争はさらに激化していく。そして東北だけに留まらず、全国各地で新たなブランド米がデビューを飾っていく。その数は200とも300ともいわれている。そして北海道は、ななつぼし(2004年)、ゆめぴりか(2011年)といった品種を育成し、新しい米どころとして名乗りを上げたのである。
岩手県農業研究センターにおいても、1990年(平成2年)から品種開発に取り組んでおり、1992年(平成4年)に、県オリジナル品種「かけはし」(早生)、「ゆめさんさ」(中生)の2品種を開発し、以降、(2004年(平成16年)までに)主食用米として計4品種を育成してきた。
さらに、激化するブランド米競争に勝ち残るため、(2010年(平成22年)から)岩手県生物工学研究センターとの連携を一層強化したプロジェクトにより、全国トップレベルの良食味を目標に据えたオリジナル品種の開発を加速させている。
岩手県は東西約122km、南北約189kmと、南北に長い楕円形の形をしており、北海道に次ぐ面積を有している。
県北部ややませ(春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風)の影響を受ける沿岸部では、出穂が早く耐冷性がある品種が望まれる。また、山に囲まれた県中部の雫石盆地などは、風が吹かないことでいもち病が起こりやすくなるため、耐冷性と同時に耐病性にも目を向けなければならないなど……。
まず岩手県農業研究センターが手を付けたのは、冷害に悩まされる県北部、県中部の中山間部を対象とした耐冷性に優れた品種の育種だった。そして約10年の時を経て、2001年(平成13)には県北部向けの早生品種・いわてっこ(交配開始は1991年)、2005年には、県中部の中山間部向けの中生品種・どんぴしゃり(交配開始は1996年)などを送り出している。どちらの系統にも、良食味米として定評があったひとめぼれが入っていることから、同時に良食味米を目指していたことは想像に難くない。
そのあきたこまちに変わりうる品種として期待されたどんぴしゃりは確かに耐冷性、耐倒伏性は優れていたが、食味が期待されたほど(平成27年度産の、どんぴしゃりはA´)ではなかったため、主食米として業務用として用いられることが多く、ほとんど一般市場に出回ることはなかったのである。
特Aを獲得しても、常に二番手という評価が付きまとっていた
「当時の育種担当は、耐冷性、耐病性、そして良食味、3つのバランスが良い品種という目標を常に思い描いていました。しかし、それを現実のものにしていくには、地道な努力を重ねるしかなかったと思います」と、岩手県農業研究センターの小田中温美作物研究室長は当時の状況を語っている。
当時、県南部産のひとめぼれが、食味ランキングで特Aを獲得していたこともあり、県中部でも「ひとめぼれを!」と転換を図った生産者もいたようだが、現実には栽培が難しく、県南産ほどの評価を受けることはなかった。だからこそ、県中部が適地となる良食味米の早期育成が望まれたのである。
こう語るのは、県産米戦略室の星野圭樹県産米戦略監だ。この二番手という扱いは、ひとめぼれにおいても同じだという。県南産のひとめぼれが、食味において何年にもわたり特Aの評価を受けても、ひとめぼれ=宮城県という構図があり、実際の市場流通価格では宮城県産を超えることができないという現象を生んでいるのだ。あきたこまちも、しかりである。
「だからこそ、生産者は岩手で育成された良食味米を強く望んでいたのです」
岩手の本気が生んだお米が、遂に特Aを獲得した
菅原チーム長以下3名の育種担当者は、2011年(平成23)に収穫した岩手107号を手にした時、玄米の外観から同じ圃場で栽培されたあきたこまちと比較して、明らかに品質的にプラスであることを確信したという。
「炊いたものを実際に食べてみて、味もあきたこまちを超えるものでした。育種担当者は〝思惑通りのものができた〟と、心の中で喝采したようです」と、小田中室長は当時の模様を語っている。
岩手107号(銀河のしずく)の特長の一つに、割れモミが少ないということが上げられる。割れモミは、一等米比率を下げるだけでなく、カメムシ被害を誘発しかねないもの。担当者はセンター内の圃場選抜の段階で、モミを1粒1粒チェックし、割れモミが少ないもの少ないものと選抜していった。その地道な努力が無駄ではなかったことが、岩手107号の外観から見てとれたので、自分自身に喝采を送ったのである。
この現地試験では、いもち病に強く、割れモミも少なく、短稈で倒れにくいことを確認。また収量に関しても、あきたこまちに比べ約7%増と上々の結果を得ていた。そして、生産者からは「自分の地域で作った米で、一番美味しい」と評価されている。その結果を踏まえて、岩手県では2015年(平成27)2月に県の奨励品種に採用することに。
その4月に、岩手県では県内外の生産、流通、販売に携わる人を集め、ブランド化戦略本部を立ち上げた。本部長には達増県知事が就任している。そのブランド化戦略の中核に、岩手107号の平成28年市場投入が位置づけられ、一連の取り組みの一つとして、県では岩手107号の名称を一般公募した。
名称の決定と平行して、2015年には現地のモデル圃場7箇所で、あきたこまちと比較試験を行った。その結果を栽培マニュアルに反映させたことで、翌2016年の一般栽培初年度から、食味の特徴を最大限に発揮させる栽培ができたのである。
「銀河のしずくは、岩手の本気が生んだ米!」と星野県産米戦略監が評するが、そのあたりにも、岩手県の本気度が垣間見てくる。
「県全体で、ブランド化戦略を実践することが大事だった。生産に関しては問題なかったが、販路開拓には苦労しましたね。戦略室スタッフ自ら飲食関係、大手販売店、米穀専門店などこまめに回りました。他県のブランド米の状況を伺いながら、販路確保に努めたのです。銀河のしずくの評価の裏づけとなるデータをとるために、首都圏の消費者に実際に食べてもらい、評価を得たりもしました。まさに地道な作業に積み重ねでした」と、星野県産米戦略監は語っている。
「その前に、首都圏のお米好き消費者、5つ星お米マイスターの方々に試食してもらい、5点満点でそれぞれ4.6点、4.0点の評価を得ていたので、特Aを獲得する目算はあった」と、星野県産米戦略監は笑顔で語る。また、岩手県農業研究センターの育種担当は、「自信はある」と語ったが、周りはドキドキしながら、ランキング発表の日を迎えたのだ。そして、運命の結果発表は……? 岩手県のオリジナル品種としては、予想通り(?)初の特Aを獲得したのである。
「頑張った甲斐があった。支えてくれた皆さんのおかげですね」
その日のことを思い出し、星野県産米戦略監は感慨深げに静かに語ってくれた。言葉少なだったが、そこには喜びの気持ちが溢れていた。
作付けの拡大はあくまでも慎重に! そこにこだわりが垣間見える
2016年(平成28)銀河のしずくは、満を持して一般作付けが開始される。しかし、最初からむやみに広げることなく、盛岡から北上までの県中部、標高240m以下という好適地で、約130ha(生産目標650t以上)からのスタートとなった。すでに刈取りが終わっているが、生産は順調で目標を達成できそうだということだ。
1年目の一般作付けでは、北上より南でも標高が高ければ、作付けができるのかを知るために検証圃場を設定。成績が良ければ徐々に、作付面積を広げていく方針をとっている。
米の消費量が減っている現在では、米どころのブランド米対決がさらに激化する様相を呈している。減っているパイを、各ブランドが奪い合うというのが現状なのだ。
「〝休みの日に1食でいいので、南部鉄器で炊いた銀河のしずくを食べてみませんか?〟 などの提案を、今積極的に行っています。岩手県で投入した銀河のしずくの分だけでも、米食が増えれば、消費の底上げにつながりますから……」
銀河のしずくは、炊き上げるとその白さが際立つのも特長の一つ。そして粘りもあるけれど、粒がある程度主張し食感もしっかりしていて、冷めても美味しいという評価が多い。
「美的にも優れているし、まさに若い人向けのごはんだと思います」と小田中室長、星野県産米戦略監は口を揃えていう。
さて、これから平成28年産の銀河のしずくが市場に登場するが、消費者がどのような評価を下していくのか、じっくり見守っていきたい。
すでに用意されていた、米どころ・岩手県復権の2の矢
オリジナルの品種で特Aを獲得した岩手県だが、実はすでに2の矢が準備されている。米の新品種は、つや姫(山形)やゆめぴりか(北海道)など、希少価値の高い限定感のある高級ブランド米にも注目が集まっている。このゾーンをターゲットにしたのが、平成29年秋にもデビューが予定されている岩手118号なのである。
「岩手118号は、岩手県産米のフラッグシップの位置づけを考えています。こちらは、ごはんの味にこだわるお米ファン向けの品種。そのため銀河のしずく以上に適地の絞り込みを行なった作付けを予定しています。これが銀河のしずくとツートップを組むようになれば、さらに米どころ岩手の本気が、消費者に伝わるはず」
こう熱く語る星野県産米戦略監だが、小田中室長も「岩手の米をリードする存在になってほしい」と期待を寄せている。
ますます、岩手の今後の動向には目が離せない状況なのだ。そして最後に、小田中室長は「銀河のしずくは、順調に育ってほしい」としながら、こう語っている。
「岩手は縦に長い広大な土地があるので、その土地の気候風土に合わせた早生、中生、晩生の品種を揃えていきたいと思っています。それが私たちの使命なのです」と。
*文中敬称略、画像提供:岩手県農業試験センター、岩手県県産米戦略室