青天の霹靂誕生秘話 食味ランキングで青森県産米悲願の「特A」を獲得した「青天の霹靂」。品種開発の歴史を遡れば、「北国」ならではの低温との闘いがあった!

平成27年産のお米販売で最も話題になったのは青森県産「青天の霹靂」である。即日売り切れの店が続出し、社会現象ともいわれるほど注目されることとなった。
 「青天の霹靂」は、平成26年に青森県内の9戸の農家で試験的に作付けされ、その年に収穫された米の食味ランキング(平成27年2月発表/日本穀物検定協会)で、参考品種ながら特Aの評価を得た。米の一大産地と呼ばれている北海道・東北地方で唯一、特Aの品種がなかった青森県にとっては、この時こそ、まさに長年の悲願が成就した瞬間だったのである。
 この「青天の霹靂」を育成した青森県の試験場での水稲品種開発の歴史を遡ってみる。

耐冷性品種の育成、冷害防止技術確立のために生まれた藤坂試験地

 ブナの原生林が残る世界遺産・白神山地、八甲田山をはじめ、青森には深い森が多く、冬はたくさんの雪が降る。春になると、その雪解け水が河川に流れ、また清冽な地下水となって里の田んぼを潤す。青森県は、米づくりには欠かせない自然の恵みをいっぱいに受けられる環境にあるのだ。しかし自然は、時には米づくりに大きな弊害をもたらすことも確か。

 

青森県産業技術センター農林総合研究所 須藤部長
「コシヒカリ」は全国で作付けされている品種であるが、北限は山形県といわれている(一部秋田でも栽培)。青森県や北海道では、栽培はかなり難しい。青森県産業技術センター農林総合研究所・水稲品種開発部の須藤充部長は、その理由を次のように述べている。
「稲は8月上旬に出穂し、夏の太陽をいっぱいに浴びて登熟していくのが理想です。『コシヒカリ』の場合、青森では新潟県と同じ時期に田植えをしても、稲の生育期間の温度が低いため、出穂が8月下旬になってしまいます。そのため光合成が不十分になり、根が十分な栄養素を吸収できず、米自体に美味しさがのってこないという結果につながります。また、穂の元ができかかるころは低温の影響を受けやすい時期になる。ちょうどその時期は、青森県では低温になりやすい梅雨にあたってしまう。稲は、低温の影響を強く受けると、障害不稔が発生したり、稲の健全さがそこなわれいもち病などにかかったりすることも。結果、収量が落ちたり、品質が落ちたりと大きな影響が出てしまうのです」
 そのため青森県では、既存の品種(「亀の尾」など)から新しい品種を生み出すなどして、県の農事試験場が設立された当初(明治時代)からその気候風土にあった品種の育成が、積極的に行なわれてきた。
昭和10年には、黒石市の農事試験場(本場と呼ばれる)とは別に、現十和田市に藤坂試験地(後の藤坂支場、現在の藤坂稲作研究部)を設置。八甲田山を望む寒冷地に位置していることから、耐冷性(冷害に強い)品種の育成、冷害防止技術の確立を図ることを主たる目的とした農林省指定凶作防止試験地の役割を果たしてきた。
 

 

藤坂稲作部本館の外観(昭和11年)
 藤坂試験地で開始された耐冷性品種の育種からは、「藤坂5号」(昭和24年)をはじめとする早生、耐冷、多収品種が次々に世に送り出され、冷害が相次いだ戦後の青森県稲作の安定化に、大きな足跡を残している。藤坂5号は、母本としての評価も高く、「トワダ」(昭和31年)、「フジミノリ」(昭和35年)、「レイメイ」(昭和41年)などの品種を生み、その後の東北地方の米づくりを大きく換える原動力にもなった。
 特筆すべきは「フジミノリ」。「集団育種法」(F2からF6世代までをまったく無選抜とし、集団で栽培し、ある程度固定化の進んだ後にはじめて個体選抜を行う方法)で育成された最初の品種であり、昭和40年代に青森、広島、岩手など11県で奨励品種に採用。最大で全国約21万4000haで作付けされ、昭和43、44年には他品種を抑え、作付面積首位になるなど、大物品種へと育っていった。藤坂試験地で育種された品種は、従来の「早生は安定するが少収量」の概念を一変させたのである。
 

 黒石市の本場においては、主に「陸奥光」などの中晩生品種が育種されていたが、皮肉なことに、それらの品種の普及に歯止めが掛かるという結果につながっている。耐冷性がある早生で、しかも多収量を期待できるとあって、青森県の農家がこぞってそちらの方に目を向けたのは、当然の結果なのかもしれない。
 そのため、黒石市の本場での育種事業は縮小を余儀なくされ、一時は津軽中央地帯の酒造好適品種と、もち品種に絞ってのみ行なわれた不遇の時代を経験することになった。

期待のホープとして数々の品種が登場したが、
食味、品質、収量などすべてを満足させるものはなかった!

 藤坂試験地では、昭和41年に「フジミノリ」の短稈化を目的に、世界初の放射線を照射する突然変異育種によって生まれた品種「レイメイ」を世に送り出した。その「レイメイ」も、全国で約14万haに作付けされる大物品種になっている。しかし、米づくりの環境は大きく変換。昭和44年の自主流通米制度を皮切りに、減反政策や銘柄米制度の実施により、戦後の収量優先の時代は終焉に向って歩を進めることになった。

(左)レイメイ(中)フジミノリ(右)トワダの稲株
 そんな状況下において、期待されて登場した「レイメイ」だったが、白濁した米の発生が多いなど品質に問題が多かったのも事実。そのため品質が良く多収な品種の登場が、強く望まれるようになっていく。
 そこで昭和51年に登場したのが「アキヒカリ」。「レイメイ」の品質を改良した安定多収品種で日本育種学会賞を受賞し、全国的に作付が拡大し、昭和55年から昭和63年までの9年間青森県内では全作付けの80%を占めるまでに普及した。しかし時代とは逆行し、他県では山間冷涼地に作付けされるなど食味より多収に重きが置かれた栽培が行われ、「まずい米」というレッテルを貼られ、売却不振米としてマスコミにまで取り上げられることに。
 この窮地を救うべく昭和61年に登場したのが、黒石市の本場で育種された「むつほまれ」である。
 本場は、農家をはじめ県の米穀関係者からの銘柄品種育成の強い要請を受け、昭和54年に新たに品種科(現在の水稲品種開発部)を設置し、「津軽中央部向け良質・良食味品種の早期育成」に向け、本格的に育種業務を再開していたのである。
 

「他県では新潟のコシヒカリはじめ、昭和59年には秋田の『あきたこまち』、平成3年には宮城の『ひとめぼれ』といった良食味品種の作付が始まりましたが、青森県には銘柄米がなかったのが現状。同時期に登場させたのが、中生の『むつほまれ』。陸奥の国(青森)育成の良質・良食味品種として、ほまれ高く育つことを期待して名付けられたのですが、『アキヒカリ』を親に持つ品種で、親より食味は良いのですが、他県の良食味品種に比べるとまだレベルが低かったですね」
 須藤部長は、こう当時を振り返っている。そのため「もう一段階食味を上げたものを!」として育成されたのが、昭和63年に登場した「つがるおとめ」であった。
 「つがるおとめ」は、青森県産の良食味米のホープといわれ、看板品種としての期待を一身に集めることに。しかし……。

青森県産業技術センター農林総合研究所(平成11年)

「その時代には、新品種ではなく『あきたこまち』を県の奨励品種に採用するという意見も上がっていました。しかし、耐冷性、いもち病抵抗性、倒伏抵抗性(籾が稔り重くなっても倒れにくいこと)も強くなかったので安定栽培が難しい。また、『あきたこまち』は粒が小さいので、収量的には『むつほまれ』の約90 %以下。そのため、栽培農家では収入が伴うのかという不安感もあり、採用は見送られることになりました。もし、『むつほまれ』が栽培されていた時代ではなく、収量より良食味米が強く求められる現在だったら、採用されていたかもしれませんね。ともあれ、『むつほまれ』の後継として、奨励品種に採用されたのが、『つがるおとめ』でした。食味に関しては、『むつほまれ』より良くなったのは確か。しかし白濁米が出やすく、精米を見た消費者からは〝もち米が混ざっている〟といったクレームなども寄せられ、残念ながら品質が良いとはいえませんでした」と、須藤部長は語っている。
 食味が上っても、品質が良くなければ、主力の銘柄米にはなり得ないのは、必然の理。そのため銘柄米の産地間競争、各県の育種競争が激化する中、さらなる新しい品種の育成が求められることになったのである。
 

 

つがるロマン、まっしぐらという青森県産米の主力品種の両輪

 平成に入り、より食味が高いレベルの品種開発を行うにあたっては、農業試験場でもインフラや体制の整備も必要不可欠になってきていた。北海道立農業試験場では、成分分析による食味選抜などの方法がとられており、それが成功を収めたことなどに刺激を受け、青森県でもタンパク質含有率、アミロース含有率の調査に必要な近赤外線分析装置やアミロース分析オートアナライザーなどが導入されることに。また、育成年限短縮のための世代促進温室なども新設されている。
 そして、組織改正も行なわれ、平成6年には品種関連部門が、稲作部から育種部(現・水稲品種開発部)として独立。これによって、育種事業が一元的に推進することが可能になっていった。


試験田における「つがるロマン」
 それらをベースにして、「つがるおとめ」の後継品種として登場したのが、平成9年に奨励品種として採用された「つがるロマン」。「あきたこまち」を父に、短稈・多収量でいもち病抵抗性が強い「ふ系141号」を母に育成された品種。適地における徹底した良食味栽培が行なわれたこともあり、良品質で、父の性格を受け継ぐ良食味米としての評価も高く、県内だけでなく、県外の消費者にも徐々に名前が浸透していった。津軽中央地帯を中心に、津軽西北地帯、南部平野内陸部の一部で作付けされ、県内の水稲作付け面積は最大で55.2%(平成18年)を占めるに至っている。
 

 それ以上の短期間に作付面積を伸ばしていったのが、「まっしぐら」。平成17年に「むつほまれ」に替わる品種として登場し、熟期は中生の早で、「むつほまれ」とほとんど変わらない。「あきたこまち」を親にして育成された系統の「奥羽341号」を母、「山形40号」を父とし、耐冷性はそこそこ強く、特に倒伏抵抗性、いもち病抵抗性が強い品種。そのため、多収安定栽培が望め、「つがるロマン」が主力の津軽中央地帯、気象条件が特に厳しい地区を除き、県内各地で作付けされ、県内の水稲作付け面積の63.4%(平成27年)を占めるまでになった。食味に関しても、「むつほまれ」より高い評価を得ており、主に業務用の米として安定した販売先が確保されている。
 「つがるロマン」と「まっしぐら」を合わせた平成27年の作付面積は、県内の水稲作付の96.2%を占める。片や良食味米としての評価が高く、片や安定栽培で販路確保がしっかりしている主力の2品種は、まさに青森県産米の両輪といっても過言ではない。

「つがるロマン」「まっしぐら」のロゴマーク

特A獲得のプロジェクトに「GO!」サインが出る前から
準備されていた5系統の品種候補

 「つがるロマン」と「まっしぐら」という両輪を得た青森産米だったが、「〝青森産米=豊かな自然に育まれた良食味米〟というイメージを、県内外の消費者に定着させるためには、2品種だけではもの足りない」という意見が、囁かれるようになったのは、平成23年頃のこと。

(左)つがるロマン(中)青系187号(右)まっしぐらの籾と玄米
「2品種とも、しっかりとした需要があったので、何ら問題がありませんでした。しかし、北海道産米の『ななつぼし』が平成22年、『ゆめぴりか』が平成23年に食味ランキングで特Aを獲得するという状況になった時、一部関係者から青森県産米の評価が下がってしまうのではないか、安穏としていられないという危機感を訴える声が上がってきました。選択肢としては、食味ランキングで常にAであった『つがるロマン』の良食味栽培を徹底し、特Aに上げるという方向性もあったのですが、青森県産米のフラッグシップとなる品種を育成し、特Aを獲ろうという機運の方が強くなっていきました」
 こう須藤部長は、当時の状況を語っている。彼の中で、「大変な苦労が始まるかもしれない」と感じたのは、想像に難くない。青森県で品種を育成していく場合、低温の影響が強いため、出穂期が8月上旬、耐冷性が強い、耐病性が強いの3つが揃うことが、絶対条件になってくる。一つに特化することなく、すべてがあるレベル以上でなくてはならない。それに加え、特Aを獲るためには、良品質と良食味という要素が加わってくるからである。
 

 しかし、須藤部長の中に勝算がなかったわけではない。3つの絶対条件を満たし、さらに「つがるロマン」よりも良食味の品種に育つだろうと思われる品種候補が、当時すでに5系統あったからである。
 食味ランキング特Aの獲得を推進するプロジェクトに「GO!」のサインが出た平成24年には、研究所内の圃場で5系統の試験栽培が行なわれ2系統に選抜。翌25年には、本場の圃場だけでなく、美味しい米を作ることに定評があった9戸の農家に試験栽培を依頼するとともに、農家の方々と協力し栽培方法の検討も行いながら1系統に絞り込んでいったのである。そして、「2系統のうち最終的に絞り込んだのが後の『青天の霹靂』である『青系187号』(青系とは、青森県産業技術センター農林総合研究所が育成した品種候補のことを示す)で、ボツになったのが『青系172号』でした。しかし、私自身はどちらも悪くないと思っていたし、試験栽培を委託していた農家の評判も上々だったので、せめて『青系187号』がだめだった時の備えだけでもと思い、『青系172号』の方もいつでも世に出せるようにと準備は進めておきました」と、須藤部長は感慨深げに語っていた。


(左)つがるロマン(中)青系187号(右)まっしぐらの稲株
 「青系187号」は「ひとめぼれ」を祖先に持つ品種であるが、中生で、やや短稈。「つがるロマン」よりは、収量が若干落ちるが、茎自体がしっかりしているので倒伏抵抗性も悪くなく、育てやすい品種であった。また、2系統を1系統に絞る際には、客観的な意見も必要ということで、食味ランキングを発表している日本穀物検定協会に食味官能評価を依頼。2系統を選抜する際の一つの基準としての評価が行なわれたが、「青系187号」の方が「青系172号」より食味が良いという結果に。そのことが、最終的な選抜に大きく影響を及ぼしたことは間違いない。
「この時の選抜は、特Aを獲ることを目的に行なわれたのですから」と須藤部長。









 

県内の生産者が求めているものをしっかり把握することが
青森の育種の基本

 最終試験栽培を終えた「青系187号」は、品種登録を進めることになり、平成26年11月には、公募で集まった多くの品種名案の中から、「青天の霹靂」が選ばれて、発表されている。

「青天の霹靂」のロゴマーク
 さらに「青天の霹靂」は、本格的なデビュー前の平成26年産米の食味ランキングにおいて、参考品種の位置づけではあるが食味試験が実施されることに。その結果は翌27年2月に発表されたが、青森県の米穀関係者にとって、長らくの悲願であった特Aを獲得し、平成27年秋の、市場への本格デビューに向けて弾みをつけたのである。
「特Aに選ばれた結果を聞き、正直ホッとしたというのが本音ですね。『つがるロマン』より美味しいという自信はありましたが、どういったお米が特Aに選ばれるかは、分かりませんでしたから……」
 こう語る須藤部長の顔には、当時を思い出したかのように、満面の笑みが浮かんでいた。
 

 「青天の霹靂」は、平成27年4月に県の奨励品種に指定され、363経営体(個人農家、法人含み)約550haで作付けされた。研究所内で行った栽培試験の結果に平成25、26年に現地担当農家と協力して進めてきた結果も取り入れ、「青天の霹靂」の栽培マニュアルを作成した。平成27年にはこのマニュアルを基に栽培を行うこととなった。収量は10aあたり9俵が目標とされていたが、平均8. 7俵が確保でき、また、心配されたタンパク質含有率の基準もほとんどのお米で達成され、ほぼ目標通りの結果に。そして農家からの買い取り価格も、「つがるロマン」より一俵あたりで4,000円程度高い値段に決まったことで、農家の栽培メリットも得られたのである。

試験田における「青天の霹靂」の草姿
 そして平成27年10月10日、県内のスーパーなどで一般消費者への販売が開始されたが、当日は開店前から、青森初の特Aのお米に対する期待感を持ったお客さんたちが行列をつくり、即日完売するなど、お米販売では考えられないような社会現象も巻き起こしている。平成28年2月に公表された平成27年産米の食味ランキングにおいても、特Aを取得した。
 「青天の霹靂」の作付面積は、平成28年産米の予定で約1,560haに増えているが、青森県の水稲全作付面積(27年産4万3,500ha)のわずか約3%に過ぎない。作付地域は津軽中央地帯、津軽西北地帯に限定。しかも生産者には、「あおもり米『青天の霹靂』ブランド化推進協議会」によって、細かく指定された栽培基準や生産目標が設けられている。さらに、「青天の霹靂」としての出荷基準や統一した集荷に協力することなど、すべてを了解した生産者に作付を限定している。
 

 その「青天の霹靂」だが、「他県への作付の拡大、奨励品種の採用などは考えていません。あくまでも青森県の良食味米のフラッグシップ米として育てていくことにしています。また、『青天の霹靂』を通して学んだ栽培技術を活かし、『つがるロマン』、『まっしぐら』の底上げを図れたらとも思っています」と須藤部長が語っているが、その効果がすぐ出たのか、平成27年産米の食味ランキングにおいて、「まっしぐら」は前年のA’からAへと1ランクアップしている。

「青天の霹靂」の収穫風景
 「もちろん、育種に関しては『青天の霹靂』で立ち止まっているわけにはいきません。我々としては、次の準備もすでに始めています。青系の番号もすでに200番を超えていますよ。そして大事なのは、青森県は気候の問題などで、県外の品種の採用が難しい地域なので、県内の生産者が求めているものをしっかりと把握し、育種を進めていくこと。また、耐冷性だけに目を向けるのではなく、年によっては高温による障害が起こるケースもあるので、さまざまな環境の変化にも対応できる品種の育成が望まれているのです。もちろん今の時代、良食味であることが前提になってきますが……」
 須藤部長はこう語っているが、食味ランキングで特Aを獲得したことで、新たなステージを目指すことになった青森県産業技術センター農林総合研究所の品種育成は、今後目が離せないのである。
 

【文中敬称略】画像提供:青森県農林水産部総合販売戦略課、青森県産業技術センター農林総合研究所