今も昔も重労働な米作り。単に収穫量を上げれば良いというわけではなく、美味しく品質の良いお米を作らなくてはなりません。しかも、野菜や果物のように収穫してすぐ食べられるわけではなく、食べられるまでに手間がかかります。そのため、昔から日本人は米作りにさまざまな道具を開発してきました。現在使われている機械を中心に、米作りの道具の歴史を見ていきましょう。

現代の米作りに必要な機械とは?
現代の米作りでは、以下のような機械が使われています。

・苗を育てるための「種まき機」「育苗機」
・田おこし、代かき、堆肥を撒くなどの役割がある「トラクター」
・田植えを行う「田植え機
・農薬を撒くための「動力防除機(どうりょくぼうじょき)」
・稲刈りを行うための「コンバイン」
・収穫したイネを乾燥させたり、もみすりしたりするための「乾燥機」「もみすり機」

それぞれの機械について、詳しく見ていきましょう。

種まき機、育苗機
種まき機とは、種もみを育苗箱に効率的に撒くための装置です。土に水を撒き、種を撒き、土を被せるという3つの作業を機械で行えます。
一方、育苗機(育苗器)とは、温度を一定に保ち、イネの発芽を促す装置のことです。

トラクター
トラクターそのものが農作業をするわけではなく、その後ろにさまざまな農器具(作業機)をつけて農作業を行います。
土を耕すなら「ロータリー」、土の消毒には「ブームスプレイヤー」、肥料散布には「ライムソワー」など。それぞれの用途や時期に応じて、作業機を使い分けます。

田植え機
田植え機とは、苗を植え付けるための機械です。植え付け爪で苗を挟み持ち、土に挿し込むタイプのものが一般的に多く使われています。

動力防除機
動力防除機とは、殺菌剤・殺虫剤・除草剤などを撒くための装置です。広大な田んぼでも、効率よく害虫や雑草を防除できます。

コンバイン
コンバインとは、刈り取りと脱穀を合わせて行う機械です。田んぼを進みながら、刈り取りと同時に脱穀・選別を一貫して行うので、非常に効率的な作業が行えます。

乾燥機、もみすり機
収穫した「もみ」は、乾燥機で乾燥させてから「もみすり」と「選別」をしないと、玄米として出荷できません。そのため、この2つの機械が使われます。

乾燥機:遠赤外線を用いたものと、熱風を用いたものがある
もみすり機:ゴムロール式と衝撃式がある。お米を壊さないよう、前者が一般的

昔はどうだった?米作りの道具の歴史
現代ではこのような機械が使われていますが、機械のない昔はどんな米作りの道具があったのでしょうか。米作りの歴史とともに、振り返ってみましょう。

お米の歴史については、こちらの記事も参考にしてください。
お米の歴史について知りたい!日本でお米が主食になったのはなぜ?

縄文〜古墳時代
現在多く栽培されている「ジャポニカ米」は、縄文時代に中国から伝わりました。その後、各地に広まって定着し、稲作の基礎ができあがりながら弥生時代に突入します。
弥生時代の農具は「木鍬(きくわ)」「木鋤(きすき)」など、カシ材を加工して作った木の道具でした。「田下駄(たげた)」「大足(おおあし)」など、田んぼに足が沈み込まないように工夫しながら、干し草など肥料の踏み込みをしていたのです。

この頃、もみ(種もみ)はそのまま田んぼに撒き、収穫は「石包丁」を使って穂先だけの刈り取りをしていました。その後の脱穀には、「木臼(うす)」や「竪杵(たてぎね)」が使われていたことがわかっています。

古墳時代になると、馬や牛など家畜を使った農作業に移行します。馬に引かせて土を耕させる「馬鍬(まぐわ・まんが)」が生まれました。その他、九州北部を中心に、鉄製の「穂摘具(ほづみぐ)」や「鉄鎌」も使われていたと知られています。

飛鳥〜鎌倉時代
飛鳥時代になると、刈り取りの際に穂ではなく、現在のように根っこから刈り取るやり方が主流となりました。そのため、鉄製の鎌が全国的に普及します。
やがて鎌倉時代には、一般的な農家でも牛馬の力を借りて土地を耕すようになります。さらに、水田に水を引くための「水車」が開発され、金属製の「鎌(かま)」「鍬(くわ)」「鋤(すき)」などを専門に作る「鍛治(かじ)」も生まれました。

現在では畑や田んぼの風物詩とされる「案山子(かかし)」も、この頃登場したと言われています。

江戸時代
江戸時代に入ると稲の品種改良が進み、収量が大きく増えたことで農機具の開発も進みました。「千歯扱き(せんばこき)」はその代表で、それまで脱穀に使われていた「扱竹(こきたけ)、扱箸(こきばし)」に替わり、作業効率を10倍以上にも高めたとされています。

他にも、耕作のための「備中鍬(びっちゅうぐわ)」、お米をふるい分ける「唐箕(とうみ)」や「千石通し」、足で踏んで水車を動かす「踏車(とうしゃ)」などが発明され、米作りの作業効率は飛躍的に上がったのです。

明治〜現代
明治時代に入ると、税がお米からお金に代わり、農業技術の革新が進みます。大正時代には第一次世界大戦を期に、電気や石油を使った動力の開発で、農業の機械化が進みました。田んぼの水の揚水・排水、脱穀作業、もみすり作業、精米作業、製粉作業、藁の加工作業などが次々に機械化されていきます。

しかし、昭和になってもなかなかうまく行かなかったのが「田植え機」の実用化でした。これは長さが30cmほどもある大きな苗(成苗)を使っていたため。1965年前後に、ようやく現在のような10cm程度の「稚苗(ちびょう)」を使うよう開発され、田植え機が実用化して現在に至ります。

まとめ
農器具の歴史は縄文・弥生時代に遡り、江戸時代に大きく発展し、大正・昭和時代を経て機械化しました。現代では多くの作業が機械化され、より安全で効率的に作業できるようになりましたが、今でも重労働なことに変わりはありません。お米を食べるとき、ときどきは生産過程に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
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