コシヒカリは日本全国で栽培されており、1979年から作付面積トップを守り続ける「お米の王様」として有名です。倒伏しやすい、いもち病などに弱いという栽培面での欠点はあるものの、粘りが強く美味しいお米として全国に広まりました。そんなコシヒカリはどのように生まれ、全国に広まっていったのでしょうか。今回は、コシヒカリの歴史をご紹介します。
農林22号:いもち病への耐性が強く、収穫期のもみの色が良い
農林1号:戦前の主力品種。収量が多く、品質も食味も良い
掛け合わされた「雑種第1代」を栽培してさらに研究が進められ、その後の選抜により「越南17号(後のコシヒカリ)」が生まれました。
※この選抜の中からは、後のホウネンワセとなる「越南14号」なども生まれています。
各地で越南17号を栽培してみたところ、他の品種と異なり、倒れても稲がほとんど傷まず、穂の実りも豊かだったことが判明しました。倒れた穂を刈り取った後で「生きている」と表現されたほどです。
多くの収量が求められた時代、食味・品質にも優れた「新潟米」を作りたかった当時の担当者と試験場長は、こうして倒れながらもしっかりと実っていた「越南17号」を県の奨励品種に申請し、採用が決定されました。
「カタカナ5文字以内の美しい日本語」という当時の命名のルールがあったため、収穫前の穂の色、玄米の色やご飯の色がひときわ美しいことから、農林100号は文字通り「越の国(=北陸)に光り輝く品種」となることを期待して「コシヒカリ」と命名されました。
「コシヒカリBL」とは?
BLとは「いもち病抵抗性系統(Blast resistance Lines)」の略で、「コシヒカリ」を親とし、いもち病に抵抗性を持つよう品種改良された品種群のことです。この遺伝子が異なるため、厳密には「コシヒカリ」と異なる品種に分類されます。
とはいえ、食味や品質は従来のコシヒカリと同等なため、食べる分にはコシヒカリとあまり変わらないと考えて良いでしょう。この特性から、現在、一般的に「コシヒカリ」として販売されているお米の多くは「コシヒカリBL」です。
こうした制度下では、美味しい品種や品質の良い米がより高値で取引されるようになり、消費者自身も品種や産地を選んで美味しいお米、品質の良いお米を購入するようになりました。食味や品質が重視された結果、食味も品質も良いコシヒカリが人気の品種となったのです。
さらに、自主流通米への各種助成があったことなどもコシヒカリ拡大の追い風になり、全国で作付が進みました。昭和54年には全国の作付面積割合が13.2%となり、それまでトップだった「日本晴」を抜いて1位の座を獲得しました。
食味が良いことに加え、耐冷性、高温下でも外観の品質が低下しない、倒伏しても穂のまま発芽しにくいなどの理由から、現在に至るまで「お米の王様」として君臨し続けています。
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(美味しいごはん研究チーム)
コシヒカリはどうやって生まれた?
そもそも、コシヒカリはどのようにして生まれたのでしょうか。コシヒカリの生まれた歴史を辿ってみましょう。
美味しいお米を目指して
コシヒカリの両親が交配されたのは、戦時下の混乱のさなか。お米には美味しさよりも収量が求められていた時代です。しかし、新潟県農事試験場(現:新潟県農業総合研究所)では、収量の多さはもちろんのこと、食味の良さも追求し、以下の2種類の掛け合わせが行われました。農林22号:いもち病への耐性が強く、収穫期のもみの色が良い
農林1号:戦前の主力品種。収量が多く、品質も食味も良い
掛け合わされた「雑種第1代」を栽培してさらに研究が進められ、その後の選抜により「越南17号(後のコシヒカリ)」が生まれました。
※この選抜の中からは、後のホウネンワセとなる「越南14号」なども生まれています。
栽培面での欠点がありながら、県の奨励品種へ
「越南17号」は食味や品質が良いものの、稈長(かんちょう:稲の丈の長さ)が長くて倒れやすく、いもち病にも弱いという欠点がありました。そのため採用を迷われたものの、地域によっては活用できるかもしれないとのことで、全国の試験場に試作を依頼したのです。各地で越南17号を栽培してみたところ、他の品種と異なり、倒れても稲がほとんど傷まず、穂の実りも豊かだったことが判明しました。倒れた穂を刈り取った後で「生きている」と表現されたほどです。
多くの収量が求められた時代、食味・品質にも優れた「新潟米」を作りたかった当時の担当者と試験場長は、こうして倒れながらもしっかりと実っていた「越南17号」を県の奨励品種に申請し、採用が決定されました。
新品種「コシヒカリ」
いもち病に弱く、倒伏しやすい「越南17号」は当初、農林省に登録されませんでした。しかし、新潟県の奨励品種に採用するという強い意志、欠点は栽培技術で補えば良いという強い考えのもと、千葉県でも奨励品種として採用するという後押しがあり、ついに「農林100号」として登録されるに至ったのです。「カタカナ5文字以内の美しい日本語」という当時の命名のルールがあったため、収穫前の穂の色、玄米の色やご飯の色がひときわ美しいことから、農林100号は文字通り「越の国(=北陸)に光り輝く品種」となることを期待して「コシヒカリ」と命名されました。
「コシヒカリBL」とは?
BLとは「いもち病抵抗性系統(Blast resistance Lines)」の略で、「コシヒカリ」を親とし、いもち病に抵抗性を持つよう品種改良された品種群のことです。この遺伝子が異なるため、厳密には「コシヒカリ」と異なる品種に分類されます。
とはいえ、食味や品質は従来のコシヒカリと同等なため、食べる分にはコシヒカリとあまり変わらないと考えて良いでしょう。この特性から、現在、一般的に「コシヒカリ」として販売されているお米の多くは「コシヒカリBL」です。
コシヒカリが全国に広まった理由
前述のように苦節を経て農林省に登録されたコシヒカリは、その後全国で栽培される「お米の王様」として君臨するようになりました。それはなぜなのでしょうか。
食味・品質重視の時代が後押し
昭和35年〜41年には全国的な米不足が起こったものの、昭和42年からは反対に米余りとなり、昭和44年には「自主流通米制度」や「生産調整」へと流れが変わります。こうした制度下では、美味しい品種や品質の良い米がより高値で取引されるようになり、消費者自身も品種や産地を選んで美味しいお米、品質の良いお米を購入するようになりました。食味や品質が重視された結果、食味も品質も良いコシヒカリが人気の品種となったのです。
誰もが知る「お米の王様、コシヒカリ」へ
昭和49年、北陸4県の合同プロジェクト「良質米生産の早植え・安定機械化制御技術の開発研究」がスタート。コシヒカリの栽培技術が研究され、普及のためまとめられました。大きな課題であった、倒伏させないための追肥の時期、稲の栄養状態を見極めるための色の指標も目安が明確になり、コシヒカリの栽培マニュアルができました。さらに、自主流通米への各種助成があったことなどもコシヒカリ拡大の追い風になり、全国で作付が進みました。昭和54年には全国の作付面積割合が13.2%となり、それまでトップだった「日本晴」を抜いて1位の座を獲得しました。
食味が良いことに加え、耐冷性、高温下でも外観の品質が低下しない、倒伏しても穂のまま発芽しにくいなどの理由から、現在に至るまで「お米の王様」として君臨し続けています。
ごはん彩々おすすめコシヒカリ3選
ごはん彩々でも、さまざまな地域の美味しいコシヒカリを取り扱っています。今回は、その中でも特におすすめのコシヒカリを3つご紹介します。
新潟県 魚沼産コシヒカリ
コシヒカリを粘り強く育て上げた新潟県が誇る、魚沼産のコシヒカリです。独特の粘りを持ち、噛み締めるほどに旨みと甘みが口の中に広がります。ごはん彩々では保温はおすすめしていないものの、魚沼産コシヒカリなら保温でも十分美味しく食べられます。ぜひ、コシヒカリの産まれた新潟産の実力を味わってください。▼ご購入はこちら
千葉県産コシヒカリ
コシヒカリを奨励品種にするとして後押しした千葉県では、現在、作付面積の約7割がコシヒカリです。粘りがよくつやつやとして、ほんのり甘みのあるバランスのとれたコシヒカリ。温暖な気候を活かし、関東で最も早く収穫される新米をぜひ一度ご賞味ください。▼ご購入はこちら
福島県 会津産コシヒカリ
東北地方の南部に位置する福島県は、左右と中央で3つの地域に分けられますが、中でも左に位置する会津産のコシヒカリには根強いファンが多いです。上品なコシヒカリとされ、ごはんの優しい香りや甘さを口いっぱいに堪能でき、料理の味も引き立ちます。ぜひ、和食にも洋食にも合わせてみてください。▼ご購入はこちら
まとめ
コシヒカリは、お米に美味しさよりも収量が求められていた戦時下に生まれました。その後、米余りの時代に食味や品質が重視されるようになり、食味の良いコシヒカリの良さが見直されるように。現在ではいもち病への耐性を強めた「コシヒカリBL」が主力品種となり、ますます育てやすくなりました。ぜひ、おすすめコシヒカリを味わってみてくださいね。(美味しいごはん研究チーム)
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